保温工事・ダクト工事


 富士断熱株式会社


    〜熱エネルギーの有効利用で社会に貢献

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当社から見た富士山です。電線が邪魔ですが、真正面にドンと構える富士山は、毎朝見ても感動します。
   

  会社の歴史



1958年4月1日 創立

<1939年〜1958年(創立)まで>
創業者である岩崎喜代史は、福岡県八幡市にあったスラッグウール工業所(断熱工事会社)に勤務していました。
1939年、日本軽金属株式会社が静岡県清水市三保(今の静岡市清水区三保)に建設される事になり、1940年(昭和15年)3月、50万円前後という金額で断熱工事(保温、保冷関係一切)を受注、同工場内に作業場を設立、そのまま責任者として建設に尽力しました。
当時、大学卒業者の初任給が70円と言う時代だったので、軽く10億は超える受注額でした。

大東亜戦争中を通じ保温・保冷工事の施工に従事、やがて戦争が終わった1945年(昭和20年)、一度スラッグウール工業所を退職するのですが、1950年、当時スラッグウール工業所の社長をされていた横尾氏に再度声をかけていただき、自らが手がけた日本軽金属株式会社の設備のメンテナンス業務に就くため、福岡県北九州市から静岡県清水市に居を移し、同市折戸633に合名会社スラッグウール工業所清水出張所(事務所)を開設しました。
この時
「受注から工事監督管理、その後のメンテナンスを一人の担当者が一貫して行う事で責任と愛着を持つ」
という当社のスタイルが決まりました。
そして、現在までそのスタイルは受け継がれています。
同時期に資本組織が改められたため、合名会社から株式会社スラッグウール工業所清水出張所となりました。
その後、事務所を静岡県清水区上清水306番地に移転し営業を継続。
この間、製糖、汽缶(ボイラー)、造船、製油、缶詰、製紙、合板等の各会社工場の受注を得るに至り、独立経営可能の状態となります。


<創立から1970年代(オイルショック)>
1958年(昭和33年)には横尾氏の勧めで独立、株式会社スラッグウール工業所清水出張所を閉鎖し同出張所の営業権をの一切を継承、「冨士断熱工業株式会社」を創立しました。
1960年10月、静岡県清水区折戸633に移転。
ちなみに、当社の本社は当時のまま、世界遺産三保の松原から車で5分という静岡県静岡市清水区折戸にあります。
この頃同名会社との誤認が多くなり、冨士断熱工業を富士断熱に改名しました。(後述参照)
やがて、日本軽金属株式会社が北海道苫小牧市に工場を建設することになり、工場の建設からメンテナンスのため、苫小牧市に営業所を開設します。

順調に業績を伸ばしてきましたが、1970年代に入り、世界経済を混乱させたオイルショックが当社にも大きな影を落とします。
重油が高くなるのだから保温工事の需要も高まるかと思えましたが、工場の設備投資が激減、当社も大変苦しい時代を耐えたそうです。


<1970年代後半から1980年代(ダクト事業部開設)>
そんな状況でしたが、なんとか新たな事業を広げる事に成功します。
もともと建設工事業は観光業と同じで、繁忙期と閑散期があります。
そのため、暇な時期に職人さんたちに仕事を!と考えていた所、幸いにも当社は保温板金を生業としていて板金工事が出来るため、船舶用に必要とされていたダクトに技術提供を始めます。
最初は船舶の仕事が主だったのですが、そのうちビルのダクト設備をやるようになり随分と赤字を出し苦労したようです。
しかし時違わず、世の中の「ボーリングブーム」でボーリング場の建設ラッシュという波にのり、やがて静岡の街のあちらこちらに高層ビルが出来るようにもなり、1981年ダクトの工場を取得、ダクトを事業部として立ち上げました。
そのダクト事業が、今では保温事業と並ぶ当社の2本柱になるまでに成長しています。


<現在>
富士断熱は、戦後の日本の歩みと共に成長発展してきました。
高度成長期、オイルショック、バブル期、バブル崩壊、リーマンショック、長い長い低迷期を工場の設備に寄り添ってきました。
老朽化した設備を何とかベストな環境で動かすために工夫し、新たな設備に対応するための工夫をするという経験を繰り返す事で、当社の技術は磨かれてきました。
これからも、経験と知識、知恵と工夫で、工場や設備をベストな環境で動かすために尽力する会社、同時に日々様々な経験をさせて頂く事で成長するスタッフをバックアップする会社であり続けます。

  名前の由来



1958年の独立の時、岩崎喜代史は、お世話になった株式会社スラッグウール工業所の横尾社長に名前について相談をしたそうです。
その時横尾社長が「あなたの会社から冨士を見ることができる。冨士が見える所で断熱工事業をやるのだから、冨士断熱工業が良いでしょう。」と名づけてくださったそうです。

ところがしばらくすると、よくわからない郵便が届くようになりました。
調べてみると、愛知県に富士断熱工業という断熱材などを製造している会社があり、どうやらそちらへ行くはずの郵便が届いているという事が判明。
これは紛らわしいという事で、1963年、「冨士断熱工業」から「工業」を取り、また「冨士」を「富士」と改めて、「富士断熱」と改名をしました。

    
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